2007年7月31日火曜日

禁煙?喫煙?

先週の日曜日、4歳になる子供とうどん屋に行きました。子供がテーブルの上で変な物を見つけました。灰皿の上に「禁煙マーク」。子供は素直です。「お父さん、何でタバコ吸っちゃいけないのに灰皿があるの?」この絶妙な質問に、この説明文じゃあ説明できるわけがない・・・・
いったいこの説明文は何が言いたいのでしょう?タバコを「なるべくご遠慮ください」と言いながら灰皿が置いてある、この状況は大の大人をもってしても説明出来ないはずです。
建前と本音?そんなことをまだ子供には教えたくありません。
うどんチェーン店のAさん、反省して下さいよ。子供でも、このおかしな表示に気づきます。

2007年7月30日月曜日

ポケモンジャンボ

先月来、何度か東京方面へ出張に出かけることがありました。広島空港からのANAの第1便、および羽田から広島空港への最終便は写真のポケモンジャンボです。
初めてポケモンジャンボに乗ったとき、正直こんなに凝った内装にしているとは思いませんでした。(せいぜい外装だけかと思っていました。)カーテン、ヘッドレストのカバー、フライトアテンダントさんのエプロン、全てポケモンでした。おまけにポケモンジャンボのはがきまでくれました。
でも・・・・ちょっと不満があります。折角子供が喜ぶポケモンなのに、朝一番や最終便では子供はほとんど乗っていません。(ビジネス客が99%位です)それなのにポケモン・・・・?すごくギャップを感じます。ちょうど今上の子供がポケモンにはまっています。でも時間が時間なので、乗れそうにありません。
ANAさん、もう一便遅らせませんか?

2007年7月29日日曜日

怪気炎論争

タイトルは冗談です。本当は改憲論争です。
今日は参議院選挙の投票日でした。投票は国民の権利ですが,私は国民の「義務」でもあるとの信念から投票に行きました。報道によると午後6時の時点でたった40%位しか投票していないそうです。
こんな状況で改憲論争が出来るのでしょうか?そこ大いに疑問です。

でも私はもっと根本的な疑問があります。そもそも「改憲」の話題に上るのは9条の話しか出てきません。主権在民とかそういった憲法の根本的思想について議論をしようとする風潮がありません。
今の時代に憲法がそぐわないのなら,改憲論争をしようという話が出てくるのは自然の成り行きでしょう。でも昨今の「報道」を見る限りではあまりに「9条」ばかりに目が向きすぎている,その他の論点について議論しているのをきいたことがありません。要は「自衛隊の存在を憲法上保障されたものにしよう」という議論でしかないように思います。
9条のみに固執するそんなくだらない議論なら(現に自衛隊が存在しているのですから)改憲論争をしても意味がありません。今の憲法のどこに問題があって、実態とどこがどう乖離しているのか、本当の改憲論争をするならば、論争をしようとする人はそこを明確にする必要があります。
(これがいわゆる問題解決のプロセスです。)

2007年7月28日土曜日

Fire Works

今日は地元尾道の住吉花火大会でした。拙宅からはちょうど隣のマンションが邪魔をして見ることが出来ません。そこで昨年までは人混みを避けて外出を避け、CATVで鑑賞し音だけ生音、という楽しみ方をしていました。今年は、上の子供に体力がついたこともあり、意を決して外出することにしました。
 花火大会と言えば、小さい頃、多摩川の花火大会(狛江市)を毎年のように鑑賞していたことがつい先日のことのように思い出されます。(この大会はもう取りやめになったそうです。)久しぶりに花火大会らしい花火をみて、日本の伝統的な火薬技術の醍醐味を堪能してきました。
 また西日本と東日本では日の入りの時刻が相当違うので、花火大会の開始、終了時刻が1時間ぐらいずれています。これもある意味東西文化の違いでしょう。おかげで、上の子は早々に眠いと言い始めたので、途中で帰ってきましたが・・・・いつの日か私の愛機、Nikon F3で花火の写真の傑作をとるべく、また見に行きたいものです。いつかな・・・・?

2007年7月27日金曜日

巡り会い

 私は趣味でヴァイオリンを演奏します。随分前ですが、この片田舎に偶然にも私の楽器の制作者の師匠、弟子の楽器がそろう珍しい機会がありました。
 私の楽器はMario Gadda(イタリア、Mantova在住)という人の作品で1953年のものです。(彼が18歳の時の作品です!!)師匠は父のGaetano Gadda氏、弟子はTestoni氏で、上の写真の右から順に、GG,MG,Tの作品となります。よく見れば、(他の楽器と比較しないとわかりにくいですが)作風が非常によく似ています。ちなみに私の楽器は師匠であるGG氏のラベルと刻印がありますが、明らかにコピーで、細かい細工も若い職人さんが作った、というのがよくわかる楽器です。
 実際弾き比べたところ、音質は非常によく似ていました。野暮な話ですが、楽器の値段も親、本人、弟子の順で違います。実はGaetano Gadda氏の師匠は、名器の制作で有名なScalanpeller氏で、この人の楽器はおおよそ1000万円弱もします。私の楽器は・・・内緒です。
 イタリアの楽器は「ブランド料」が含まれるので、同じ実力の楽器に比べて高いと言われることがあります。確かにその側面を持った楽器も存在します。しかし私がこの楽器に巡り会ったのはほんの偶然でした。これより高い楽器でも、自分には何故かしっくり来ません。安い楽器もしっくり来ません。この楽器だけが自分の表現したいことを全て引き出してくれるような気がしました。そう、直感です。
 私のヴァイオリンの師匠であるS先生も「楽器は巡り会いだ」と常々おっしゃっていました。ですから少し衝動買いには近いものがあるかもしれませんが、実は少し違います。衝動買いは自分の欲求の赴くままに購入します。楽器の場合は、日頃から聞く耳と自分の実力を把握しておかねばなりません。そして、「これだ!!」と思った楽器は思い切って買う、この違いがあります。
 イタリアンには憧れもありました。でも、私がこの楽器に巡り会ったのは「ブランド力」ではなくやはり「偶然」です。そして親子3代(血縁関係だけではないですが)の楽器がこの小さな街で巡り会ったのもやはり「偶然」です。

2007年7月26日木曜日

夏休みセミナー

今年の盆休みは、CADICさんが学生さんに「機械設計の楽しさを体験してもらう」趣旨で始めた夏休みセミナーに社会人として参加することにしました。
私のこのセミナーに対する期待は、
・考えや思考プロセスの異なる技術者およびその卵を如何に纏めていくか?
・若い人たちのエネルギーを貰う
・自分の実力の再確認(多分ボロクソ)
です。
もともとこのセミナーへの参加は私の知り合いである、島根県の某人のススメでした。
社会人として参加するとはいえども、会社の出張扱いにはしたくない(自己研鑽)ので、多少の出費は伴いますが、それはいつか何らかの形で自分に返ってくるものと思っています。
実は同じような研修を会社内で受講したことがあります。その時も「ボロクソ」でした。でも自分のモチベーションは非常に高まりました。
体力的にはほとんど徹夜の連続になりそうなので、正直自信がありません。
不安もありますしつらいです。家族の協力と理解も必要です。
でもそれ以上のものを持ち帰ってこようと決心しています。

2007年7月25日水曜日

何か変

今、私は夏休みです。今朝は朝食を少し気取って喫茶店のモーニングで済ませました。さてそこで変なものを見つけました。私の趣味であるヴァイオリンをモチーフにしたレリーフです。よく見ると・・・・
・ヴァイオリンの楽譜なのに、へ音記号が使われています。
・音符の向きが左右逆です。
ヴァイオリンのことを知らない芸術家がレリーフを作ると、こんなに変な作品になるのですね。
同じ芸術を愛する者としては少し寂しい気がしました。
作者の方、もっと勉強して下さいね。

2007年7月24日火曜日

へい?

私は会社で事業部内の技術者向けにHP形式のメルマガを毎月発行しています。先日その記事を読んでいたおばちゃん(失礼)から指摘が・・・・・
「Mさん、漢字間違っていますよ」
「ええっ?何が」
がです。弊方が全部幣方になっていますよ。弊社って書くでしょう?だから”へいほう”も弊方が正しいのよ。」
うーむ、気づかなかった・・・・
その後即漢和辞典を調べて意味の違いをきっちり覚えました。
会社でも自宅でもATOKを使っています。自己学習機能でおそらく誤った用例を覚えてしまったのでしょう。これぞ事故学習・・・
ちなみに私は小学生の頃、(今もですが)漢字が大好きでした。漢字テスト連続満点記録なんてのを作って喜んでいました。
でもワープロの普及により、手書きの機会がめっきり減りました。従って辞書を引くこともあまりなくなりました。いかんいかん、このままでは漢字能力が落ちてしまう・・・・
今危機感を持っています。電子メールやブログは仕方ないですが、なるべく手書きを大切にしたいものです。

2007年7月23日月曜日

万年筆

今年に入って,母親から万年筆を貰いました。私が物心ついた頃にはすでに母は使っていたので,かれこれ40年ぐらい経つものでしょう。プラチナのカートリッジ式で安っぽそうな外観とは裏腹にペン先は14金です。(母は今は別の万年筆を愛用しています。)貰ったときにも既に10年以上使われていなかったのでインキは出ない,かすれるなどのトラブルはありましたが,丁寧に水で洗浄したら十分に使えるようになりました。
元々万年筆は私のあこがれの文房具でした。何故あこがれであったか,それは万年筆を持つと何だか書道をするような感覚になり,適当に文章を書こうという気がしないからです。真面目にお付き合いしないと言うことを聞いてくれないからです。
私は字が下手です。ですから,字を書くことが非常に苦痛でした。また上手に書こうとしても書けないので最近はワープロに頼り,自筆で文字を書く気もしなくなっていました。しかしこの万年筆を貰ってからというもの,自分で文字を書くことが非常に面白くなってきました。
そもそも私が文字を書くのが嫌いな理由の一つに「筆圧が低い」というのがあります。ボールペンやHBの鉛筆,シャーペンでは非常に疲れます。この点,万年筆は適度な筆圧のコントロールが必要ですが比較的筆圧は低くて良いのです。もっともボールペンの様にぞんざいに書くことは出来ませんしシャーペンのように芯の硬度でごまかすことも出来ません。この点貰った万年筆は私にとってちょうど良い筆圧で書くことが出来,少し字を丁寧に書く意識が高まった気がします。筆圧のコントロールには非常に良いトレーニングになります。
もうすぐ技術士の第2次試験です。もちろん試験官に自分の論文を読んで貰うわけですから上手下手よりも,「丁寧な」文字を素早く書くことが要求されます。この万年筆と出会ったおかげで,文字は上手くはなりませんが「丁寧に」書くことの楽しさをも貰った気がします。
 余談ですが数年前,家内にもシェーファーの万年筆をプレゼントしました。シェーファーは吉田茂が日米安全保障条約の締結式にサインした際に使った万年筆のメーカです。

2007年7月22日日曜日

中立・公正?

NHKをはじめとする各マスメディアの報道を見聞きして感ずることがあります。特にNHKなどは「中立・公正な放送をするために」視聴者から公正に受信料を負担頂くとの考えがあるようです。
受信料負担については、色々考える事がありますがそもそも公正・中立な報道ってなんでしょう?
最近私はそれが疑問で仕方ありません。例えばAというマスコミが「参議院議員選挙」を第1に、第2に「中越地震」の報道を持ってきたとします。反対にBというマスコミは「中越地震」の報道を第1に、第2に「参議院議員選挙」に関する報道を持ってきたとします。
報道される順序で人間は重要度を判断する傾向がありますから、AとBは内容的に全く同じ内容を報道しても「順序がある限り」中立・公正にはなり得ません。新聞の見出しでもそうです。インターネットでもそうです。このブログのお世話になっているGoogleさんなんかは人間がどこに一番注目しやすいか、で検索結果の表示を変えることもあるそうです。それが自然です。
ですから、私はNHKをはじめとしたマスコミ各社には「私の所では中立・公正な報道はしません、出来ません!!」と正直に言って欲しいと望んでいます。そうすれば視聴者は、流れている情報が本当かどうか常に様々な情報を総合的に判断して、その報道の重要性、信憑性を確認するでしょう。それが本当に信頼できるメディアになりうると思っています。
いかにも自分の所は中立・公正だと言い切ってもそれは独りよがりの主観的なものでしかありません。

2007年7月21日土曜日

三寸

先日、「照美」さんからメールを頂きました。送り主に見覚えがなかったので、また迷惑メールか、と思っていましたが、ふと先日ここ(http://oak.zero.ad.jp/teru/)から投書したことを思い出し、その返礼であることがわかりました。
私が指摘したのは、このサイト(にしかなかったのですが・・・・)で竹取物語の読み方を出題されていて、それが間違いであるからでした。

竹取物語の書き出しは古文の授業で普通に習うと思いますが、読み方はどう習っているのでしょう?
(原文コピーが面倒なので、原文はこちら。 http://gakuen.gifu-net.ed.jp/~cont1/tyu_kokugo/tyukokugo/taketori/taketori.html
この中で三月、三日、三寸、と三のつく単語が出てきますが、どうやら最近の「国語教師の教科書」には 「みつき」「みか」「さんずん」と読むように指導するよう書かれているようです。
私は国語の教師ではないので学習指導要領などがどうなっているのかはわかりません。
しかし、この3つの呼び方、少しおかしいのでは?と気づかれた方がいらっしゃるかもしれません。
そうです、さんずんが誤りです。
単純に考えれば当たり前ですが、何故ここだけ音読みに変化するのでしょう?(訓読みにするのが自然ですよね?)そしてどうして誰もそれを疑問に思わないのでしょう?正しくは「みき」と読みます。
これは実は私の祖父(故人、元国語教師)の遺言でもあります。小さい頃、まだ古文漢文なんて習わなかった頃から祖父は竹取物語のこの部分を「みき」と読む、それだけ教えてくれました。そしてこれを正しく教えない教師が多くなっていることを嘆いていました。
何かにつけ、国語教育の重要性が叫ばれる今日この頃ですが、読み方一つとっても理屈や文化があります。それを無批判に教えて無批判に受け入れる人たちがいくら教育改革を叫んでも何だかむなしいだけです。何か最近の人は「筋道を立てて考える」「常に疑問を持つ」ことを忘れている人が多いと思う昨今です。
(ちなみに照美さんからは丁寧なお返事でした。そのうちご自身で調べられて訂正されるものと思います。)

2007年7月20日金曜日

"絶対"音感

私には絶対音感があります。しかし自慢でも何でもありません。小さい頃からヴァイオリンを習っていた為に自然と身に付いたもののようです。ですからヴァイオリンのチューニングの基音のA(ラ)の音はおおよそ443Hz位にチューニングできます。機械の回転数も、電卓があれば音で回転数を聞き分けられます。この話を人に言うと「すごいね」とか言われますが、実際便利だと思ったことは全然ありません。世の中には「絶対音感トレーニング」なるものが存在し、幼児教育や英才教育に取り入れられているようですが、全くの無意味です。無意味な理由は・・・・・
先日、三叉神経痛の発作が起こりました。左目の下に激痛が走ったので、風邪による急性副鼻腔炎になったのかと耳鼻科専門医の診察を受けましたが、レントゲンの所見等に炎症反応が見られないことから、第二肢の三叉神経痛とのことでした。その治療薬として”テグレトール”という薬を処方されました。この薬を処方された時に医師からは「ふらつきや目眩などの副作用があるかもしれない」と聞いていましたが、実はこの薬、神経伝達速度を遅くする作用があるので「音が低くなる」という副作用を持ち合わせていたのです。朝晩二回の服用で、その副作用はてきめんでした。
翌朝目を覚ますと、ヨメさん、子供の声、目覚ましの音、車の音、遮断機の音、会社のチャイム、とにかく何でも音が低く聞こえるのです。全く夢の世界にいるような感覚でした。ちなみにクラビノーバ(電子ピアノ)で確認してみると、何と25Hz(約半音)低く聞こえている事が判明しました。おかげで気分が悪く、立ってもいられなかったので会社を休みました。
この経験から学んだことは、”絶対”音感というのは単に脳の記憶部位にある特定の周波数の音が記憶されているだけの能力である、ということでした。ある意味特殊な能力なのかもしれませんが、私のような事例でセンサ(この場合は聴覚神経)に異常を来せば却って人間のメンタル面に害を及ぼす危険性すら孕んでるということが非常に恐ろしく思いました。(幸いこの薬の服用を中止し、四日ぐらいで元に戻りました)
その他にもバロックチューニングの音楽を聴くと何か変な感じがする(これは克服、むしろ最近は好んで聴いています)、などあまり自慢などする能力ではないと思います。せいぜい宮崎アニメの「耳をすませば」で、主人公と友人、そのおじいさん達と音楽仲間で演奏するチューニングが「バロックチューニングだな・・・」とわかる程度でしょうか。(これがわかれば相当な能力と”知識”がありますね。)
最近、音楽をやる上で必要なのはむしろ”倍音”を聞き分ける能力が非常に重要と思っています。絶対音感教育を受けてきた人にはむしろこの感覚に欠けている人が多いようにも感じます。ドとソの和音を聞いてその一オクターブ上のドを聞き分ける、この能力は必須です。これについてはまた後日。

2007年7月19日木曜日

ことはじめ

「コンサルタントもすなるblogといふものを、クライアントもしてみむとてするなり。」
実はブログを初めようという動機は、単に懇意にしていただいているコンサルさんの影響でした。
さて、見出しの文は紀貫之の土佐日記「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」
をもじったものですが、この書き出しには実は諸説あり、私の祖父曰く、
「男もじ(漢字)ですなる日記といふものを、女もじ(ひらがな)でしてみむとてするなり。」という説もあるそうです。
私の祖父は国語の教師でもあり、また郷土史の研究家でもありました。その影響か、(国語は実は嫌いな科目だったのですが、)社会人になって自分の住む地名の由来を調べたりするようになりました。
結構奥が深く面白いものです。
専門はバリバリの理科系ですが、ぼちぼち気の向くままに掲載していこうと思います。