2009年3月21日土曜日

地図から消された島(2)

大久野島は戦時中,毒ガス兵器を製造していた拠点です.当時の製造設備は戦後,島内全てを焼き払ったので,ほとんど残っていませんが,所々に砲台の跡などがあります.(今は休暇村の施設を除いて,基本的には無人島です.)


毒ガス製造は危険な作業ですが,多い時には約5000名もの人がこの周囲4kmの小さな島で働いていたそうです.事故だけでなく定常の作業でも健康を害して亡くなる人が沢山いました(います...ですね.)島内には慰霊碑がありました.

これは毒ガスに関する資料を集めた毒ガス資料館です.館内は撮影禁止ですが,私の知人が研究したり,資料作成したものが沢山展示されていました.彼は(といっても随分年上ですが)現在でもイラン・イラク戦争でイラク軍が使った毒ガス兵器の後遺症に悩む人の医療支援をしています.そんな展示もありました.


↓これ,何かわかります?毒ガス製造に使う色々な化学物質は腐食性が強いので,「陶器」でできていたのだそうです.これは屋外展示だったので撮影できました.
日本の窯業技術もすごいモノですね.(NGKなどの製品もあるのですよ・・・)
私がビックリしたのは↓.これは「バルブ」です.館内には完全な状態のバルブがありましたが,陶器のバルブというのは初めて見ました.
奇しくも昨日はあの忌まわしき地下鉄サリン事件から14年目の年.そんなときに毒ガスの展示を見て,化学物質の平和利用を願わずにはいられませんでした.

そうそう,この島で製造されたものは何も毒ガス兵器だけではないのです.殺虫殺鼠剤なんかも製造されていて,これは好評だったそうです.(シアン化化合物を使ったもの)

余談)
◇地下鉄サリン事件といえば,私の父は被害を受けた車両の2,3本前の電車に乗っていました.
◇また知人でサリンを浴びた方もいます.(翌日が演奏会でしたが,医者に行かねばならぬ,と大騒ぎになりました.幸い軽傷でした.)

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