2008年3月5日水曜日

捕鯨船の襲撃

日本の調査捕鯨船が反捕鯨団体に襲撃され、3人が怪我をするという事件が発生しました。
私はこの行動に人間としての怒りを感じました。そして論理的な矛盾を感じました。

捕鯨が許されるか許されないかという問題と、自分たちは捕鯨に反対だから「いうことを聞け!!」と暴力行為に及ぶこと、は別問題です。

幸い今回は「軽傷」ですみましたが、それは結果論です。
人間が人間を傷つける行為=命を大切にしない行為を行う者に「捕鯨反対」(の理由は何やろ?動物愛護のつもりか?)を語る資格はないです。
鯨の命と人間の命、どちらが大切かと問われれば、人間の命の方が大切です。
本来ならば動物も人間も「命」は大切にしたいですが、人間が生きていくためには「犠牲にせねばならない」命もあります。それが命の優劣だと考えています。
日本などの法治国家では人間を傷つける行為は「傷害罪」あるいは「殺人未遂」というれっきとした犯罪です。動物を殺す事は「無罪」あるいは「器物損壊罪」になります。
ということは法律上も動物の命と人間の命は明確に重みを変えている事がわかります。

反捕鯨国であるオーストラリアでも、今回のこの反捕鯨団体の行為を「国として」非難しました。
でもこの反捕鯨団体の本拠地がある国は今のところ何も言っていません。どうするつもりなんでしょうね?
私は捕鯨の是非、には科学的な根拠以上に、政治的な要因が絡んでいると思います。
「政治目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向。また、その行為。」のことを一般に「テロ」と言います。
反捕鯨団体の本拠地のある国は色々な国を「テロ支援国家」と名指しで非難しています。
でも自国民が起こした今回の行為を黙認したら?自分たちもテロ支援国家にならないかな?
疑問です。

余談
私はこういう反○○団体とか○○保護団体というのが嫌いです。
たいていの場合、行動と主張が矛盾していることが多いからです。
例を挙げます。
反原発:電力の半分は原子力発電によるものである。だからその相当額の「電気代」は払わない。
(その相当分の電力を使わないようにする、というのならば筋はまあ通るかな?)

動物愛護:動物の命は大切にするべきである。なのに食料(動物だけでなく植物)や、命を犠牲にした様々な生活用品を消費している。

環境保護:エコエコ、と叫びながら「エコ商品」を買いあさっている。「エコ」を考えるならば「消費活動」そのものを止めるべきじゃないの?

そうそう、さらに余談。
昔私の兄が一人暮らしをしていたとき、も○みの塔という宗教団体に所属する「化粧のケバイ」おばちゃんが勧誘に来たそうです。兄は「あなた達は動物実験についてどう考えていますか?」と問いました。当然のごとく「動物実験は・・・・・(ごたくをならべて)・・・反対です。」と言ったそうです。兄は「おばちゃん、あんたの化粧、なんで顔に塗りたくって安全なのか知っとるか?ウサギの目に化粧品を塗りたくって色々テストしとるから安全性が確認できとるんや。そんな信念持って俺ん所勧誘に来るんやったらケバイ化粧おとしてから来い!!」と追い払ったそうです。それ以来ばったり来なくなったそうな。

これも行動と主張が矛盾していることをついた典型例ですね。

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